アメリカはいわゆる使い捨ての国だけど、ペットに関しては゛リサイクル”が盛んだ。
本当は最後まで責任を持って死ぬまで一緒に暮らすのが良いけれど、オーナーが病気や老衰で飼い切れなくなったりした場合、ペットを誰か可愛がってくれるひとに引き渡せる、Humane Societyの存在はとってもいいことだと思う。
一方最近多いのは離婚、再婚によって「事情」が変わったために持ち込まれる犬猫なんだそう。いわく、離婚して家を出たため、アパートで犬が飼えない、再婚した相手の連れ子がアレルギー。まあ、確かにValid Reasonではあるわな。
そもそも犬や猫がお店で売られたり、誕生日のプレゼントにされたりすること事体おかしいっちゃおかしい。とりあえず犬も猫も人間と歩んできた歴史があるわけだけど、今の資本主義社会の中じゃ、動物は完全に物と同じ扱いを受けてる。つか、資本主義自体、全てをお金に置き換えましょう、という約束事なわけだから、それは致し方のない事なのかもしれない。
人間が所有意識を持たなければ、それらはただそこに存在するだけのものなのに。そして所有意識の別名は「愛」とも言う。愛したり、それに執着したりするがゆえ、そこに「価値」が生じ、値段がつく。ほとんど何にでも。
所有しない愛を説くひとも居るけれど、それは愛の本質から少し遠ざかる。寛容はそれ相当の「無関心」の分量を必要とするから。。。
話を犬、猫に戻すと。。。リサイクルされて新しい飼い主にアダプトされても、犬、猫は幸せとは限らない。昔の飼い主に心を残していることはしばしば’らしいし、習慣の違いから新しい飼い主になかなかなつきにくかったりする事もあるそうだ。。。
犬猫だけじゃなく、食用の動物でも、人間って命の大切さを説きながら、片目をつぶってその大量生産と大量消費を見逃してる。巷に安売りの愛が蔓延してもおかしくない。
でも、だからといってそれを100%否定しきれない事も分かる。
だってそれなしには何も始まらないから。
2009年03月13日
使い捨てとリサイクル
【日記の最新記事】

